2011年3月11日 午後2時46分

全財産を一瞬で失い 人生の全てが一変しました。
津波を受け自宅が流された翌日の様子。バスが横転している場所に家があり、お盆や正月には子供と孫が集まり賑やかに過ごした思い出の場所です。
あの日、今まで体験したことのない大きな揺れ襲われ「津波がくる!!」と直感的に感じました。
急いで自宅に戻り、2階に避難しようとしていた母と妻を「ここではダメだ!」とすぐさま避難所へ誘導。 私は津波に追いかけられながら、町内の人たちに避難を呼びかけてるうちに津波に襲われ命からがら近くのビルへ逃げ込みました。
東日本大震災 マグニチュード9.0 震度6弱 自宅前津波の高さ7m
人生の全てが一変しました。
巨大な津波で我が家が粉々に押し流され瓦礫と化していくのを避難したビルの小窓から、ただ呆然と見ていることしかできませんでした・・・
その夜は大雪になり隣の低い建物に逃げ込んだ妻と母のことが気になり一睡もできないまま夜が明けました。
気仙沼の新たな産業へ!一日一歩前へ!

仮設住宅から起業を!復興を加速させるのは自分たちの手で!
翌朝、住み慣れた町の様子を見て絶望しました。
いたるところから立ち上る火災の煙、重油の焼けた臭い、続く余震。
あまりの惨状に声も出せないまま、線路をたどり高台の中学校へと避難。家族と再会できたのはその二日後です。
それから2ヶ月間、中学校の教室をお借りしての過酷な避難所生活が続き2011年5月から現在もプレハブの仮設住宅で暮らしております。
全財産を失い途方にくれていた私のもとへ、ある日岩手の桑茶関係の方から連絡をいただき桑の葉茶についてお話を聞かせていただきました。
長年住んできた自宅と全財産を失いましたが幸いにも家族は皆無事です。世界中からいただいた温かいご支援に感謝し、その想いに応えるためにいつまでも下を向いていてはいけないと、この時強く思ったのです。
家族のために、そして津波でボロボロになった気仙沼の新たな産業となり震災で職を失った人の雇用の受け入れ先となれるよう「桑の葉茶で再起を!」と決意しました。
気仙沼くわ茶に使用している桑の葉は、気仙沼市と南三陸町の協働契約農家さんと共に一生懸命に育てた無農薬栽培の桑の葉を100%使用してます。
摘みとりの時期には、地元のお母さんたちに集っていただき、賑やかな笑い声が響く中丁寧に手作業で摘みとりを行います。
桑茶の精製は石巻市の工場にお願いしてます。
こちらの会社は震災前は福島県産のお茶を主な取引先としておりましたが震災後は福島産のお茶の精製の仕事は「ゼロ」になり、工場内の仕事も激減しました。
「気仙沼くわ茶」の精製をお願いすることで、同じ沿岸被災地の工場にも仕事が生まれたことは私自身もとても嬉しく思っております。
皆さんの健康をサポートさせてください。

アメリカで大絶賛!世界中の方に桑の葉の素晴らしさを知ってほしいのです!
昨年3月には、ワシントン州シアトルで行われた日米協会主催のイベントに出展。
多くの方に興味を持っていただき健康成分と美味しさに好評をいただきました。
このイベントがきっかけとなり、現在はシアトル近郊のお店でお取り扱いいただいております。
またアメリカ国内のアマゾン.comでの販売も開始し、NYやフロリダなど全米各地からご注文をいただき「気仙沼くわ茶」が広まっております。
震災から3年半が経ちましたが、いまだ沿岸部は厳しい生活が続いております。
そのような現状ではありましたが、あの時、いただいた世界中からのご支援に応えるため、今度は私たちが皆さんの健康をサポートしていきたいと強く想っております。
気仙沼くわ茶には、保存料やその他の添加物は一切はいっておりません。ノンカフェインですからどなたでも安心してお飲みいただけます。
毎日少しの運動と食前の桑茶を続けることで美しく健康的な身体を維持していけること願ってます。